プロ野球の歴史の中で永久欠番と言えば、大半の方が、元読売ジャイアンツ「王貞治」さんや「長嶋茂雄」さんを思い浮かべるのではないでしょうか。
先日、広島東洋カープの黒田博樹投手の背番号「15」が、永久欠番となるとの報道がありましたが、
この永久欠番にされた選手は偉大な選手ばかりです。
球団によっては、たくさんの背番号を永久欠番としている球団もあります。
そこで、今回は、「各球団別の永久欠番の選手を一覧」にするとともに、
「永久欠番とされる番号で、一番多い背番号は何番か」も見ていきたいと思います。
目次
読売ジャイアンツの永久欠番選手
背番号1 王 貞治(おう さだはる)
(出典:http://matome.naver.jp/)
世界的にも有名な王貞治さんは、通算ホームラン数868本の世界記録を現在も保持されています。
一本足打法から繰り出される大きな放物線を描くホームランは、凄いというしかありません。
背番号3 長嶋 茂雄(ながしま しげお)
(出典:http://matome.naver.jp/)
3番に王貞治さん、4番に長嶋茂雄さんで、「ON砲」と呼ばれ、天覧試合や数々のここ一番のチャンスで、ファンの期待に必ず応えるような活躍を魅せる選手でした。
みなさんの記憶に残る選手の1人ではないでしょうか。
背番号4 黒沢 俊夫(くろさわ としお)
(出典:http://www.ad-vank.com/)
1947年、腸チフスを発病し現役選手でありながら亡くなられました。
戦時中で主力がいないときに、4番としてチームを引っ張り、
戦後もチームの要として、病で倒れるまで、5番、6番を打ちチームに貢献しました。
背番号14 沢村 栄治(さわむら えいじ)
(出典:http://matome.naver.jp/)
徴兵による3度の戦争の末、戦死されましたが、
ノーヒットノーランを3度達成されるなど、巨人の初優勝に大きく貢献されました。
背番号16 川上 哲治(かわかみ てつはる)
(出典:https://middle-edge.jp/)
「打撃の神様」と呼ばれ、史上初の2000本安打を達成されました。
また、最高打率.377をマークするなど第一次黄金時代の中心的存在でした。
背番号34 金田 正一(かねだ まさいち)
(出典:http://matome.naver.jp/)
プロ野球史上唯一の通算400勝を達成し、愛称は「かねやん」と呼ばれています。
また、最多敗戦の298敗の記録を持っています。
勝ちも負けも多いですが、400勝は今後破られない記録でしょう。
阪神タイガースの永久欠番選手
背番号10 藤村 富美男(ふじむら ふみお)
(出典:https://ja.wikipedia.org/)
伝説の強打者として、黎明期を支え。戦前から戦後にかけてプロ野球を代表するスター選手。
また、規定打席不足ながらも初代ホームラン王に輝きました。
背番号11 村山 実(むらやま みのる)
(出典:http://www.sankei.com/)
歴代最多タイ記録ではありますが、沢村賞を3度受賞。
闘志をむき出しの「ザトペック投法」で、二代目「ミスタータイガース」と呼ばれていました。
マウンド上の力強さが伝わってきますね。
背番号23 吉田 義男(よしだ よしお)
(出典:http://www.kcc.zaq.ne.jp/)
「牛若丸」と呼ばれ、華麗で堅実な守備の達人であった。
また、阪神タイガースの監督を3度経験した唯一の人です。
中日ドラゴンズの永久欠番選手
背番号10 服部 受弘(はっとり つぐひろ)
(出典:https://middle-edge.jp/)
カーブが投げられず、カットボールを得意な変化球とし、5年連続10勝以上するなど球団初のリーグ優勝、日本一に貢献しました。
背番号15 西沢 道夫(にしざわ みちお)
(出典:http://reachdoradoala.blog.fc2.com/)
初代のミスタードラゴンズと呼ばれ、1942年には世界最長となる、延長28回を311球で完投しました。
2刀流ではないが、プロ野球史上初の投手として20勝(1940年)、打者として40本塁打(1950年)を達成しました。
広島東洋カープの永久欠番選手
背番号3 衣笠 祥雄(きぬがさ さちお)
(出典:http://moguru.info/)
「鉄人衣笠」と呼ばれ、連続試合出場の日本記録・世界2位の記録をもっています。
1980年代の赤ヘル黄金期の原動力となった選手です。
背番号8 山本 浩二(やまもと こうじ)
(出典:http://laughy.jp/)
「ミスター赤ヘル」の愛称で親しまれ、引退後は広島東洋カープの監督を2度、そして、第三回WBCの監督を務めました。
背番号15 黒田 博樹(くろだ ひろき)
(出典:http://akasannz.com/)
不撓不屈の精神で、日本だけでなく、メジャーリーグでも大活躍をしました。
また、メジャーリーグでは、5年連続10勝以上の成績を残し、
名門ニューヨーク・ヤンキースでは、田中将大とダブル・エースとして活躍をしました。
埼玉西武ライオンズの永久欠番選手
背番号24 稲尾 和久(いなお かずひさ)
(出典:http://matome.naver.jp/)
1957年の日本シリーズでは、7試合中、5試合に先発し、4完投した。
その際の地元の新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しで世間で賑わっていました。
また、史上唯一の3年連続30勝を記録しました。
凄いですね。
今の分業になりつつあるプロ野球では、絶対にできないような数字ですね。
北海道日本ハムファイターズの永久欠番選手
背番号100 大社 義視(おおこそ よしのり)
唯一の選手でない人の永久欠番。
日本ハム球団の初代オーナーの野球殿堂入りを記念して、永久欠番となりました。
楽天イーグルスの永久欠番
背番号10 イーグルス・ファン
(出典:http://votecloud.jp/)
10番は、ファンのための背番号として、永久欠番としています。
ですので、チーム発足以来、背番号10をつけた選手はいません。
ちなみに楽天イーグルスのマスコットを「クラッチ」といい、イーグルスのファンを代表して、背番号10をつけています。
まとめ!
このように、各球団の永久欠番の選手を挙げてきました。
一番多い背番号としては、背番号「3」と「15」です。
背番号「3」が、読売ジャイアンツの長嶋茂雄さんと広島東洋カープの衣笠祥雄さんです。
また、背番号「15」が、中日ドラゴンズの西沢道夫さんと広島東洋カープの黒田博樹さんの2人です。
やはり、戦前、戦後の選手の永久欠番が多いように思います。
その中で、広島東洋カープの黒田博樹さんの背番号「15」が永久欠番となり、偉大な選手の仲間入りとなりました。
これからは、どんな選手が、偉大な記録、伝説を残し、永久欠番となるのか楽しみですね。
今後ですが、現在マーリンズのイチロー選手が、オリックス時代につけていた背番号「51」が永久欠番となるのでないかと思います。
今回は、プロ野球の各球団の永久欠番について、お伝えしてきました。